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1:事務局
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2023/12/21 (Thu) 09:42:24
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1954年(昭和29年)に「東洋電具製作所」として創業し70年になります。
その間に二度の「石油ショック」を乗り越え「バブル経済崩壊」も乗り越えて「半導体のローム」と言われるまでになりました。思えば「あの時、潰れていたなぁ~!」と思う事が何度も有りました。そんな危機的な状態の時に何故か”救世主”のような製品が現れて潰れずに済みました。
例えば「第二次石油ショック」の時には”電卓用LEDチップ”が陰で支えましたし、「バブル経済崩壊」の時には”半導体レーザー”と”DA/AD変換IC”が陰で支えました。現在の「ローム株式会社」は”車載用パワー・ディバイス”が主流になりつつ有るかに見えますが、陰で支えているのは「東洋電具製作所」時代に商品化した”チップ抵抗器”や”サーマルプリント・ヘッド”と”オーディオ用アナログIC”や”オプト・エレクトロ二クス製品”です。
そもそも「東洋電具製作所」は先行メーカーが”お荷物”になってしまった製品を後追いして市場シェアを横取りするという企業戦略でした(オプトエレクトロニクス製品だけは先行していた)。現在は「半導体のローム」と言われていますが、実は”半導体”では無い製品が陰で支えています。それを主導していたのが「門外漢」と業界で言われていた佐藤研一郎社長でした。
現在の「ローム株式会社」のメンバーは、情けない事に陰で「ローム」を支えている製品が何処の工場で生産されているのかさえ知りません。今となっては”伝説”となってしまった佐藤研一郎社長と、その社長に振り回された「東洋電具製作所」時代の愉快な仲間達のエピソードを語りましょう。
事務局は元LED製造部の宇梶正弘(49年)が担当させて頂きます。オブザーバーとして元総務部の中井和昭氏とIC設計の野添実氏も参加しておりますので、宜しくお願い致します。
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2:事務局
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2023/12/22 (Fri) 09:42:58
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https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1703205778.jpg
最新の”会社紹介”です。
YouTube動画 フルバージョン(6分14秒)を見る。
https://www.youtube.com/watch?v=U384jZLChlU&list=TLPQMTUxMjIwMjP36_ZS-wuRxA&index=3
< 裏話 >
「半導体のローム」と言われていますが、1967年(昭和56年)に「抵抗器だけでは先が無い!」という佐藤社長の”短絡的な”思い付きから半導体事業が始まりました。このビデオでは「失敗を恐れないフロンティア・スピリット」と「確かな技術力で時代をリードする製品を次々と生み出し」となっていますが、実際は失敗の連続で、技術的にも手探りで不良品の山を大量に造るところから始まっています。誰がこのシナリオを書いたか判りませんが「良くもヌケヌケと言えるなぁ~」と正直思います。現在のロームの社員は半導体事業の初期は滅茶苦茶だった事実を知りません。「それなら、それでもイイか!」とも思いますが、今にして思えば結構デタラメな事をやっていました。何しろ、半導体に関しては”素人集団”だったんです。
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3:事務局(宇梶)
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2024/01/09 (Tue) 09:51:43
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https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1704761504.jpg
「ロームOB会」がマトモであれば、こんな掲示板を作成必要は無いはずだったんです。しかし、現在の「ローム株式会社」の社員達は「東洋電具製作所」の時代を知りません。原因は1990年代に強行された「ローム大リストラ」で、時期に社員が入れ替わってしまいました。極端に言えば”断絶状態”となっています。OB同士の横の連絡も無くなり、我々はすでに過去のものになってしまいました。しかし、現在の「ローム株式会社」は「東洋電具製作所」時代の製品群が支えています。「ローム」が潰れなかった理由は、この衝撃の事実が有るからなんです。
私は1982年(昭和57年)3月末に「ローム株式会社」を退職し、当時IC製造部FT(ファイナル・テスト)課に在職していた「前 登」君と共同でコンピュータ販売会社「㈱京都アプライド・システム」を起業しました。当初は「㈱ミロク経理」のオフィス・コンピュータの販売とソフト開発・導入サポートを行っておりました。起業して2年後に当時抵抗器QC課に在職していた「大槻 祐一」君加えてローム退職者3名体制で営業活動を行っておりました。最初の仕事は亀岡の「ミヤ電子」のOA化で、ミロク経理の「販売・購買・在庫システム」「経理システム」「給与計算システム」を稼働させました。後にIBMシステムに移行し、ロームより早くIBM全社管理システムを稼働させました。この「ミヤ電子」で開発した「生産管理システム」は、後にIBM超大型コンピュータ「ES-9000」の生産管理にも使用される事になりました。