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いろいろな事が有ったようで、辛い思いをした方も居ると思います。
しかし多くの先輩や仲間達がこの世を去りました。
供養も兼ねて楽しかった「東洋電具製作所」での思い出を語りましょう。
ローム株式会社の後輩達も頑張っています。先輩として暖かく見守りましょう。 
 
「東洋電具製作所」に関わりが無かった方はご遠慮下さい。


「東洋電具」から「ローム」 に社名変更した話

1:事務局 :

2024/01/24 (Wed) 17:38:56

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1706589120.jpg  1977年(昭和46年)には半導体が商品構成の50%を占めるに至った。半導体のウェイトが高まってくるにつれて、当然のごとく抵抗器メーカーから半導体メーカーへのイメージチェンジが必要になった。そこで、1977年10月、CI(コーポレート・アイデンティティ)の導入が決定され、具体的な展開がはかられた。
 
 CI導入のポイントとしては、
 (1)抵抗器メーカーから半導体メーカーへのイメージ形成
 (2)技術開発力に秀れた会社
 (3)品質を重視する会社
 (4)国際的に活躍する会社
 (5)事業規模の大きい会社
 (6)信頼度の高い会社
 (7)時代を先取りする会社
 (8)ユニークな会社
 (9)若い会社
 (10)経営が安定した会社
ということを重視して企業イメージづくりが図られたのである。
 
 かくして1979年(昭和48年)に商標は「ROHM」に、1981年(昭和50年)に商号は「ローム株式会社」に決定された。商号と商標のデザインはアメリカのデザイン会社によるものである。
 コーポレートカラーは、従来は主力商品である抵抗器のボディカラーであるブラウンが使用されていたが、新たにメインカラーにクリアブルーが、サブカラーにフレッシュグリーンが採用され、一斉に切り替えられた。
 このほか事務用品の様式とデザインの統一、PR用カタログとパンフレット類のデザイン統一、商標・看板類のデザインの統一、車輛のデザインの統一、製品梱包パッケージのでデザインの刷新などを行い、広告表現では半導体製品のPRを強化していった。

 新しい企業イメージを徹底させるためにCISマニュアルを制作し、国内外のロームグループ各社と関連部門へ配布した。社外の関係先へは直接案内するほか、新聞、テレビ、ラジオ、DMなどを通じて浸透を図った。こうして新商号「ローム株式会社」と、新商標「ROHM」が順調に船出したのである。
 
 (平木一司著「気がつけば還暦を過ぎていた」より転載)
2:宇梶 正弘(49年) :

2024/01/30 (Tue) 13:56:09

 1979年(昭和48年)世は第二次石油ショックの不景気から抜け出し、ラジカセ・ブームからウォークマン・ブーム、カー・ステレオ・ブーム。更にVHS対ベータのビデオ・ブーム大変な事になっていた。この時代、まだCD(コンパクト・ディスク)なる物やカーナビは存在していない。カセットテープ全盛の時代だった。
 
 その頃、「ローム株式会社」という新商号が知らされた。勿論、大方の社員が唖然とした。何故なら東洋電具製作所の商標「R.ohm(アールオーム)」の「.」を取っただけ。「幾ら何でも”能”が無さ過ぎるやろ!」と思わず耳を疑った。そもそも「東洋電具製作所」という社名も、抵抗器の先行メーカー「理研電具」の名称を真似ただけのものだったので、社名の決め方が安易なのは仕方が無い。

 当時の東洋電具製作所の生産能力を遥かに超える注文が殺到し半導体ウエハ・プロセスの増強が急務となった。ところが、銀行とは余り縁が無かったために設備投資資金の確保が困難となった。そこで、株式を上場して証券市場から資金を調達しようと考えたまでは良かった。しかし、上場条件に適合するには程遠いデタラメな経理処理が発覚した。

 当時の東洋電具製作所は、まるで役所のような収支決算の感覚で経営されていた。もちろん、税務上は企業会計原則に従った、貸借対照表と損益計算書の複式簿記だったようだが、感覚的には歳入・歳出の考え方が支配していた。早い話が、材料を購買が購入して「仕入」、営業がユーザーに製品を納品して「売上」、社員の給料やその他諸々が「経費」、「売上」から「仕入」と「経費」を引いたのが利益や。ここまでは一見正しそうに見えるが、大きな見落としが有った。つまり「資産」という奴が見事に抜けていた。ここを監査法人の公認会計士に叩かれた。

 半導体製品というのは、ユーザーと取り決めた規格がミソで、厳しい仕様の取り決めをしてしまうと途中の検査で大量の「規格外品」が出来てしまう。仮に最終検査:FT(ファイナル・テスト)の歩留が50%とするとコストが2倍になる。ユーザーに対しては「規格が厳しいので高くなった」と言って価格交渉をする。ところが、規格外れで不良品扱いになった製品でも、「なす」や「キュウリ」や「大根」と違って腐らない。従って、捨てずにストックしておいて別のユーザーに売るということが出来てしまう。例えば、ノイズ・レベルが「SONY」でアウトでも「ビクター」ならOKという事は普通に有る。大量の不良品が一夜にして宝の山になるような事は幾らでもある。従って、ICのFT工程には「不良品」という名前の「お宝」が山のよう有った。勿論、ICに限らず抵抗器・ダイオード・トランジスタ・LEDでも相当数有った。それを「棚卸資産」として勘定すると大変な額になる筈だ。

 そこを公認会計士に見抜かれてしまった………と言うか、公認会計士が仕組んだ資産の水増し策と考えるべきだろう。ただ、税務署では無いので税金が増えるわけでは無い。資産勘定が増えれば株価が高くなるという、逆にプラス効果になる。株式上場前に右京税務署に申告した決算書と、上場時に大阪証券取引所に提出した決算書は、まるで別世界の数字だったと考えるのが普通だろう。株価が実力より高く算定されれば、金儲けのために購入する投資家も増えるので、そこが証券市場のイカサマの一端だと思う。
 そもそも、証券市場というのは「絵に書いた餅」を売り買いして、その手数料で成り立っている金融市場なので、仕方が無いのかも判ないが、それで被害に遭うのは恩恵を受けない一般社員だった。実際、悲惨だったのは清水俊三さんのIC製造部FT(ファイナルテスト)課で、不良品として無造作に段ボール箱に入れられていたものが山積みになっていた。そもそも、不良品という扱いだったので、マトモに数も勘定もされていなかった。それをカウントするのに、FT課のメンバーでは手に負えず、全社員が休日出勤させられて「大・棚卸大会」となった。
 
 我々、一般社員にとっては迷惑千万な話だったが、そのカラクリに気付いたのは「ローム株式会社」を退職した後オフィスコンピュータの「経理システム」開発に携わって後で判った事だった。この時期から極秘裏に株式上場の下準備が始まっていた。



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