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いろいろな事が有ったようで、辛い思いをした方も居ると思います。
しかし多くの先輩や仲間達がこの世を去りました。
供養も兼ねて楽しかった「東洋電具製作所」での思い出を語りましょう。
ローム株式会社の後輩達も頑張っています。先輩として暖かく見守りましょう。 
 
「東洋電具製作所」に関わりが無かった方はご遠慮下さい。


車載計器のデジタル化を主導したロームLED

1:事務局 :

2024/02/16 (Fri) 11:00:35

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1708048836.jpg  1981年(昭和56年)”スーパーグランツーリスモ”をうたう「トヨタ・ソアラ」がデビューした。それまでにない高級パーソナルカーの登場に日本中が沸き立ち、一大ブームが巻き起こった。それは“日本車の革命”といってもいい大きな出来事だった。
 
 しかし、その陰で「東洋電具製作所」がトヨタ自動車と日本電装に潰されかけた事は誰も知らない。今でこそ呑気に「車載用半導体製品」などと言っているが「自動車業界を相手にすると大変な目に遭う。」という話をしよう。
2:事務局 :

2024/02/16 (Fri) 11:30:16

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1708050616.jpg  1976年(昭和51年)「旭光学」から受注した「ペンタックス MX」用のカスタムLEDのトラブルを克服した直後、又しても神野勝課長と川上尚臣クンが大ボケをやってくれた。無謀にも「日本電装」から新型車のスピードメーター・タコメーターのディスプレイを受注した。勿論、新型車なので極秘だった。今だから言えるが新型車というのは「トヨタ」の「ソアラ」、スポーティー・セダンという新シリーズで、オッサン向けの「クラウン」とガキ向けの「セリカ」の中間に位置する年齢層をターゲットにする「トヨタ」としては相当気合を入れて企画したものだった。
 
 形状はトルク曲線と同じような形で1000回転毎に「緑-緑-緑-緑-黄」とチップを並べ、8000回転から先は「赤-赤-赤-赤-赤」とするカメラ用とは真逆のダッシュボードに収まる大型のディスプレイだった。その大きさ故に、基盤はフェノールの単層片面基板という安価な材料とした。そのため、ワイヤー・ボンディングはアルミ線を使った超音波ボンダーに限られた。これが、後々に大トラブルの原因になった。
 
 この時、新しい試みとして反射ケースの材料に数字表示器用として「テイジン」と共同開発していたPBT(ポリブチレン・テレフタレート)を急遽使用する事になった。車載使用が前提だったので”ブッツケ本番”での採用となった。

 超音波ボンディングというのは小型のセラミック・パッケージ用に開発されたもので、熱圧着ボンディングの様な300℃程度の過熱が出来ないパッケージに限られ「TTLロジックIC」の前の「DTLロジックIC」に使われていた。間違っても、フェノール基板やガラス・エポキシ基板の様な超音波を吸収してしまうような柔らかな基板に使用するものでは無い。それを、しっかり固定することが難しい大型の、しかも安価なフェノール基板に使うというのは、本来であれば言語道断な話。大トラブルになって当たり前なのだが、知らないという事は恐ろしい事で、つい「やっちまった!」。実際、超音波が逃げてしまうため、超音波のパワーを上げなければならない。外見上は正しくボンディングが出来ているように見えても、基盤のボンディング・パッドとアルミ線は融着していない。そこで、神野さんが考えたのは、50cmほどの板の先端にボンディングを行った製品を取り付け、まるで「布団叩き」の様に机にバンバンと叩きつけて中途半端な接続のアルミ線を浮かせてしまうというオソマツな方法やった。ところが、このオソマツな方法は、更なる悪夢を生むことになった。

 そもそも、理想的なボンディングが出来ていないものに強烈な衝撃を加えたため、50ヶ所以上あるワイヤーが次々と外れていった。つまり、叩けば叩く程に断線個所が増えて行く。例えば、1ヶ所断線していたものを修正してから叩くと更に3ヶ所断線する。その3ヶ所を修正して叩くと、更に5か所断線するという感じだった。そんな事をしている内にチップ側のボンディングパッドが取れてしまい、チップを交換しなければならなくなる。すると、色や明るさがそこだけ変わってしまう。そんな感じで、アッという間に「修正品」の山が出来て、良品が全く出て来ないという最悪の状態になってしまった。そうなると、「日本電装」からのプレッシャーは半端で無く、ついにミサイルが飛んで来るまでになってしまった。どんなミサイルかと言うと「トヨタのラインを止める気か!」という最高レベルの脅しだった。「トヨタ自動車」のラインを止めたら、どういう事になるか考えて見て頂きたい。当然「ゴメン!」で済む話では無くなる。家電業界やカメラ業界と比べると、影響力は雲泥の差だ。

 LED製造部総掛かりで火消しに走ったが、余りにも火勢が強く鎮火不能の状態だった。そこで、考えたのが「布団叩き」をやめて、樹脂で固めてしまうという可成り強引な策だった。チップ一つ一つにエポキシ樹脂を滴下しオーブンに入れて固めてしまうという、これもまた中途半端な対策だったが、やらないよりはマシだったので「トヨタのラインを止める」という大惨事は防いだ。この「ソアラ」用のディスプレイの次に「クラウン」用のディスプレイも試作したが量産には至らなかった。その後はカラー液晶に代わったため、新規の注文は無くなり「東洋電具製作所LED製造部」はに平穏が戻った。後になって言える話だが、自動車業界に関わる怖さを思い知った事件だった。もし、トヨタ自動車の生産ラインを止めていたら、「東洋電具製作所」そのものが木端微塵に粉砕され瓦礫の山と化していた筈だ。
 
3:事務局 :

2024/02/16 (Fri) 11:46:42

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1708051602.jpg  1981年(昭和56年)に登場したクーペタイプの小型乗用車「ピアッツァ」は 117クーペの後継だった。デザインを担当したのは117クーペと同じくジョルジェット・ジウジアーロ。言わずと知れた工業デザイン界の巨匠である。当時の国産車といえばパキッとエッジが立ったデザインが主流で「トヨタ ソアラ」とは逆に曲面を多用した優雅かつ斬新なデザインを採用。

4:事務局 :

2024/02/16 (Fri) 11:54:35

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_897300/897275/full/897275_1708052075.jpg  またフラッシュサーフェス処理も先進的で、ウインドウまわりを中心に、ボディ表面の凸凹は極力排除されていた。内装に関してもジウジアーロのデザインが忠実に再現され、上級グレードのXEには「デジタルメーター」を標準装備。またそれ以外のグレードにも、メーターナセルの両脇に操作系を集中させた「サテライトスイッチ」を設置。右手側にライトスイッチなど11項目、左手側にワイパーなど13項目の操作スイッチを集中させることで、ステアリングから手を離すことなく大抵の操作ができる作りになっていた。
 
 この「デジタルメーター」を受注したのは「矢崎計器」で、信頼性を考えてLEDランプ「SLC-22」を使用したLEDランプアレイとした。勿論、設計は「ウ~サン」の自信作でトラブルは一切無かった。また、この時の担当営業は佐藤社長の後継として「ローム株式会社」のCEOになる新米営業の澤村クンだった。この時、澤村クンは「浜松営業所」という本社営業の出張所の下っ端だった。(本社営業では珍しく真面目なヤツだった。当時の本社営業は吉見部長の筆頭に”お祭り男”の集団だった)

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