盆踊り大会と運動会の話 - 事務局
2024/01/19 (Fri) 15:54:11
社内盆踊り大会の話
盆踊り大会の企画は神田部長から「夏祭りを企画してくれ!」と指示があり、新入同期生を集めて協議、昨年はダンス・パーティもどきの演奏があったようだが、不人気だった由。小谷・三宅・小倉・吉野・浅井・加藤幹・桔梗・小林貞・石原・梶浦の面々に「盆踊りをやりたい」と提案した処、全員が「今どき盆踊り?」と一蹴されたものの、強行に説き伏せて実施。確かに子どもの頃を覚えているだけで心許ない提案ではありましたが、社員だけでなく、ご近所さんにも呼びかける、模擬店も出店して、従業員の家族も招待し、職場別の踊りコンテストも実施と、皆のアイデアが続出し、大盛況の催しとなりました。この催しはかなり長い間、皆から愛されたものです。「第一回社内盆踊り大会」を企画した際、大看板に「社内盆をどり」と記した処、植村課長からクレーム。品質管理やQCサークル活動の初期とあって、早速「社内盆踊り」と訂正されてしまいました。因みに「をどり」は私が洒落っ気を出して看板屋に依頼したものでした。
ただし、神田部長曰く「調子に乗るな!」
この企画には、営業の吉見課長のお力が大きく、模擬店の設営もたこ焼きを中心に本職の香具師を手配してくれました。後述の運動会のときも、吉見課長の得体の知れぬお力に支えられました。
運動会の話
同じ年か翌年には運動会の要望があり、第一回は「長岡天神のグランドを借用しました、このときには当日「グランドを使うのならば、ゴザを借りろ」とヤクザに因縁をつけられ、「女子社員にけがでもあったら一大事」と思案した際に、大会委員長の吉見課長がケリをつけてくれました。その解決法は内緒です。その後は長岡天神を諦め、伏見桃山グランド(桃山城の裏手)を何度か利用したと思います。
中井 和昭(42年)