茶道教室と茶道教室と軽音の話 - 事務局
2024/01/20 (Sat) 17:32:13
「東洋電具製作所」はまさに女の子の集団でした。私の入社時点で、すでに茶華道は仁和寺系列の教室がありました。またまた、神田部長から「藤川学園と話を通じてあるから、社内に学校を創れ」とのご指示。早速、京都市役所の真ん前にある本能寺会館の「藤川学園」に通い、藤川延子園長から「藤川学園連盟校」の看板をいただき、新たに社内に洋裁・和裁・手芸のクラブが発足し、勤務終了後のクラブ活動で藤川学園と同じ免許状が取得できることになりました。
ご存じの植村技研発祥のプレハブ建物の2階に洋裁教室が誕生しました。その後も、体育文化活動の一環として、卓球部・コーラス部・書道部・英会話部等が続きますが、定時後のこれらの活動に力を入れ過ぎ、「中井君、ええ加減に手を抜け!」との神田部長の言に萎えました。
中井 和昭(42年)
Re: 茶道教室と茶道教室と軽音の話 - 事務局(宇梶)
2024/01/21 (Sun) 16:01:07
1974年(昭和49年)に私が入社した時、軽音楽部は何故か解散していた。大学3年の春に配布された就職案内の冊子「リクルート」には「東洋電具製作所」の会社案内が有って、その記事の隅にクラブ活動として軽音楽部が有るとされていたが、実際に入社して見ると解散していた。
そこで、たまたま購買の沢田勝氏に「軽音楽部って無くなったんですか?」と尋ねたら、「洋裁教室の奥に何やら楽器が有るで!」という情報を得た。そこで購買部の倉庫の2階に有った洋裁教室を捜索したところ、棚の奥に沢山の楽器やアンプ類が雑然と置かれていた。そこで、庶務課の高橋安子嬢(後に出石くんの嫁さんになった)が上司の中井係長に頼んで「卓球場でやったら!」という許可を得た。
そこで、茶道教室と華道教室をやっていた南工場1階の和室の奥に有った卓球場の一角を強引に占拠して「軽音楽部」が突然に復活する事になった。最初は、私と同期入社の野田くん、山下くんと3人で練習を始めたところ抵抗器の設備開発をやっていた栗田さんがエレキギターを持って現れた。
宇梶 正弘(49年)