軽音楽部の話 - 事務局
2024/01/21 (Sun) 16:22:15
軽音楽部が復活したのは入社した翌年の1975年(昭和50年)だったと思う。最初のレパートリーはサンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」と「ジプシー・クイーン」のメドレー曲だった。
当初のメンバーはリード・ギターが抵抗器設備開発の栗田さん、ベース・ギターが同じ設備開発の山下くん(49年)、ボーカルはIC製造部の野田くん(49年)、ドラムが半導体製造部設備課の宇梶(49年)の4名でスタートした。
当時はミュージック・ビデオなど無かった時代だったので総て”耳コピー”だった。現在はYouTubeのような便利なものがあるので、昔を思い出して是非お聞き頂きたい。
サンタナ「ブラック・マジック・ウーマン」(1970年オリジナル)
https://www.youtube.com/watch?v=FKJPmOh74Xg
サンタナ「ブラック・マジック・ウーマン」「ジプシークイーン」(2016年ライブ版)
https://www.youtube.com/watch?v=-2O81STmDGg
Re: 軽音楽部の話 - 事務局
2024/01/21 (Sun) 17:15:22
その次のレパートリーが同じアルバムの中の「Oye Como Va」(オイェ・コモ・バ:邦題「僕のリズムを聞いてくれ」)で、「ブラックマジック・ウーマン」「ジプシー・クイーン」とメドレーで演奏していた。
サンタナ「Oye Como Va」(1970年オリジナル)
https://www.youtube.com/watch?v=J7ATTjg7tpE
サンタナ「Oye Como Va」(2016年ライブ版)
https://www.youtube.com/watch?v=9u0oiy_KPm8
この曲も同じアルバムからのナンバーで後にレパートリーに追加された「サンバ パ ティ」で栗田さんの”泣きのギター”が冴えていた。
サンタナ「Samba Pa Ti」(1970年オリジナル)
https://www.youtube.com/watch?v=timZoOs9ozo
サンタナ「Samba Pa Ti」(2016年ライブ版)
https://www.youtube.com/watch?v=JGJdU2dpYxg
Re: 軽音楽部の話 - 事務局
2024/01/21 (Sun) 18:06:59
この次にレパートリーに加わったのが「シカゴ」の「25 Or 6 To 4(邦題:長い夜)」という難曲で、栗田さんのギター・プレイが半端では無かった。
シカゴ「25 Or 6 To 4」(1970年オリジナル版)
https://www.youtube.com/watch?v=iUAYeN3Rp2E
シカゴ「25 Or 6 To 4」(2016年ライブ版)
https://www.youtube.com/watch?v=ORx11ioo_0s
Re: 軽音楽部の話 - 事務局
2024/01/21 (Sun) 20:02:42
この次にレパートリーに加わったのはサンタナのアルバム「アミーゴ」から「Europa(邦題:哀愁のヨーロッパ)」というバラード曲だった。栗田さんのギターソロが冴え渡った名曲だった。
サンタナ「Europa」(1976年オリジナル版)
https://www.youtube.com/watch?v=EA46jZD6ZM0
サンタナ「Europa」(Live In London 1976)
https://www.youtube.com/watch?v=SVI7ZDDQXKA
サンタナ「Europa」(ライブ・イン・ジャパン 2017)
https://www.youtube.com/watch?v=uHGrwMn1vOE
最後の社員旅行のための新曲 - 事務局
2024/01/22 (Mon) 17:30:28
1977年(昭和52年)、結果的には「東洋電具製作所」最後の社員旅行となってしまった三重県志摩市の「合歓の郷」を貸し切りにして盛大に挙行された。そのレセプションのオープニングとして景気いい曲のリクエストが会社側から有ったために急遽レパートリーに加わったのがこの曲だった。
ローリングストーンズ「Jumpin' Jack Flash」
https://www.youtube.com/watch?v=B9hc-gNBU2A
ローリングストーンズ「Jumpin' Jack Flash」(Official Video) [4K]
https://www.youtube.com/watch?v=ruTMp4_sy1E
ローリングストーンズ「Jumpin' Jack Flash」 (Live at Racket, NYC 2023)
https://www.youtube.com/watch?v=EiRQT2AXGrw
軽音楽部の流れ解散の話 - 事務局
2024/02/22 (Thu) 09:40:36
1978年(昭和53年)、北工場クリーンルーム内でボーカル担当の同期の野田クン(49年)が拡散工程で薬品を被る事故に遭遇した。この事故を契機に「東洋電具製作所」の歯車が狂い出した。
事故の詳細は『「極秘扱い」にされた2件の重大事故の話』に記載するが、この事故で野田クンは軽音楽部の活動が出来なくなってしまった。更に、ベースギター担当の山下クン(49年)が人事と喧嘩になって突然に退社してしまった。その後社内では突如組合運動が勃発し。従業員会が解散して従業員組合となった。更に、主力メンバーの栗田さんが活動から離れてしまった。そして、軽音楽部は”流れ解散”となって活動を終える事になった。